函館観光

土方歳三最期の地碑〔ひじかたとしぞう さいごのちひ〕

  • 土方歳三最期の地碑土方歳三最期の地碑に飾られる花束
  • 一本木関門で倒れる最期となった一本木関門と地碑
  • 土方歳三最期の地土方歳三最期の地
  • 若松緑地内にある若松緑地内にある
  • よく整備された若松緑地と池土方歳三最期の地碑
  • 全国から来る土方歳三のファンと花いつも花がそえられている土方歳三の地碑
  • 中島町にある中島三郎助父子の碑中島町にある中島三郎助父子の碑
  • 箱館戦争で戦った中島三郎助父子同胞である中島三郎助父子の碑

新撰組副長として京都の町に勇名をはせた土方歳三は、鳥羽伏見の戦いの後、新撰組を率いて各地を転戦して北上し、仙台で旧幕府海軍副総裁の榎本武揚が指揮する脱走軍艦隊と合流した。
1868年(明治1年)10月、蝦夷地(北海道)に上陸した榎本軍は、箱館を占拠して新政権を樹立。土方は、その陸軍奉行並の要職についた。
翌明治2年4月、新政府軍の箱館総攻撃にあたり、榎本軍は各地で敗退したが、土方が守った二股口(現北斗市)だけは最後まで落ちなかった。約300人の兵で新政府軍800人を撃退した箱館戦争で最も激戦と言われた二股口の戦いでは、司令官としての真価が発揮された新撰組副長・土方歳三であった。
しかし、同年5月11日、ついに箱館も新政府軍の手に落ちた。弁天台場が包囲をされ孤立したことを受け、土方は、箱館奪回を目指し、約50名の兵を率いて出陣した。一本木(現若松町)の関門を出て、箱館の市中に向かい、敢然と切り込んでいったが馬上で銃弾に当たって倒れ、壮烈な最期で波乱に満ちた生涯を閉じた。時に35歳であった。
遺体は五稜郭に埋葬されたとも、別の場所に安置されたとも言われている。いつも花束が添えられていることから、全国から訪れる土方歳三のファンの多さを物語っている。

  • 一本木関門で倒れる最期となった一本木関門と地碑
  • 土方歳三最期の地土方歳三最期の地
  • 若松緑地内にある若松緑地内にある
  • よく整備された若松緑地と池土方歳三最期の地碑
  • 全国から来る土方歳三のファンと花いつも花がそえられている土方歳三の地碑
  • 中島町にある中島三郎助父子の碑中島町にある中島三郎助父子の碑
住所
函館市若松町33
電話番号
0138-21-3111
駐車場

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